「彰化」に来た第一の目的は~一応達せられたが・・・、新旧のコントラストを見られただけでも。。。

 

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今回の台湾に来た第一の目的は・・・、母親が生まれ幼少を過ごした場所、そしてじいさんが戦前に着任して勤めていた国民小学校の確認は無理だったが、こんな街に暫く住んでいたのかという事が分かっただけでも収穫がありました。

 

母親は昨年末に、じいさんは自分が小学校の時に死んでいます。

 

じいさんの面影は、今もくっきりと思い浮べる事が出来る。

 

自分が幼稚園の頃に、母親も小学校の教員だったので帰りに迎えにこれなく、よく幼稚園に迎えに来てくれたががじいさんが迎えに来たのではなんか格好が悪く、分かっててもわざと迷わせて一人で帰ってきた事を思い出します。

 

この事は母親からも何度も聞かされていました。

 

じいさんはその頃から、色々な処に行くのが好きで、台湾の前にはサイパンのやはり国民学校に赴任していたそうです。

 

戦後に日本に帰ってきても、その当時混乱の時期にも関わらず日本各地を旅して歩いたとの事。

 

常日頃ばあさんが嘆いていたとの事で、恐らく自分はその血を継いでいるのかと思います。

 

そのじいさんが国民小学校の校長として、勤めていた学校の確認までは出来ませんでしたが、彰化の駅周辺の国民小学校の写真を撮ってきました。

 

この中のどれかなのかと。。。

 

いやぁ~どの学校を見ても凄すぎて、日本の小学校、中学校ではこんな立派な建物はありません。

 

何処も昔の面影は少しもありませんが、こんな学校のトップにいたとは今更ながら尊敬してしまいます。

 

 

 

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彰化での最後に、ホテルの近くの踏切にて台鐵の最新特急「普悠瑪(プユマ)号」と旧の今は急行クラスですが「莒光号」とノスライド風景。

 

まさに台鐵の新旧の特急列車が、今だ共存して運行されています。

 

↓↓↓

 

 

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*台湾 彰化でのレポートはこれにて終了しますが、なんか実際に行って数ヶ月経っているのですがこの街には思い入れるものが沢山あり、又是非近いうちに台湾に行く時は絶対に寄ってみたい街です。

 

次回は、この彰化から行ける海側にある古都「鹿港 ルーガン(Lu-Gang)」に是非行ってみたい!!